私の字はよく「ミミズが這った字」と言われることが多い。私は書道三段であるが、正直そこらの小学生よりも字が汚いと思う。字を美しく書くことができるよりも、ブラインドタッチやスピーキング能力が高い人が現社会での需要は高いと考えている。寺小屋時代には”字を書く”ことによる手段でしか人に書式形式で情報伝達することができなかった。しかし、現代では活字の必要性は消失する一方だ。理由としては、情報化や新しい伝達手段の発達などが考えられる。本日は、字が汚い人、字が奇麗な人、結局何が違い、両者のメリット、デメリットという不毛な議論をしようと思う。
字が汚い人
なぜ字が汚いのか?
私の高校で偏差値が75程度で東大や京大にいく人は、みんな揃って字が汚かった。なぜ字が汚いのかといつも考えていたが、最近になって理由はすごくシンプルなものであることに気づいた。一つ目は「字へのこだわりがない」ということ。字と言うものは情報を二次元保存する媒体にすぎない。つまり認識することができれば良いのである。さらに受験のようなスピード処理の世界ではわざわざ字を丁寧に書いていたら、センター試験はあっという間に終わってしまう。字を書くことよりも自分の思考回路での処理が早く、仮に字を丁寧に書いていると思考が乱されるというのはよくあることである。つまり、書くことよりも考えることに焦点を当てているのである。
字が汚いメリット
字が汚いメリットは脳内での情報処理にノイズを入れずに済むことだと思う。考え事をしながら文字を起こしている際に、「どんな漢字やったけ?」「少し字が斜めってきたな」などと考えていると、自分が本来考えていた思考が遮断されてしまう。自由な発想やアイデアを思い浮かべる際は文字にこだわっている暇はないと思う。
字が汚いデメリット
デメリットは字が汚いと自己完結の情報で終わってしまうことである。つまり文書としてその情報を人に提供することはできないのである。こういう場合は、話す、デジタル文書などを活用すれば、この問題は解決するであろう。
字が奇麗な人
字が奇麗なメリット
字が奇麗に越したことはない。ひと昔前では、字が奇麗であるだけで飯を食べていけたくらいだ。メリットとしては、人に文書で情報伝達する際に的確に情報を伝えることができる点が考えらる。また世間受けが良い点もある。そして古典的な文書を使ったお仕事では活躍することができるであろう。
字が汚いデメリット
デメリットは、遅いことだ。今や小説の原稿などは全てパソコンだ。ちなみにこの記事は1500字程度であるが、丁寧に原稿用紙に書いたら数時間はかかる分量である。しかし、タイピングだと15分程度で書くことができる。雲泥の差である。
まとめ
私が考えるのは職業上などで人に情報を伝達する際に活字を利用する人は、字の練習をするべきである。そうでない人は、ある程度の字を書くことができれば、それ以上文字にこだわって追求していくのは自己満の世界であると考える。結論、どっちでもよくね?
オススメ記事