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理想と現実を知って、物事に挑戦すれば、きっと成功する。

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こんにちわ、ケンチェラーラです。

この記事を読んで頂ける方は、当ブログの愛読者の方だと思います。

いつも、ありがとうございます。

気まぐれで私の感情と思考を書き殴るだけのお馴染みのシリーズです。

普段はあまり口にしない、ここだけの話。

「私の感情と思考」と題して、たまに執筆しています。

今回もノンストップ、本気で書き殴ります。

対戦よろしくお願いします。 

 

この記事は精神論です。

「精神論」なんかはどうでもよい、「持論」のみで生きていくって方は不快な思いをする可能性があります。

ご注意ください。

欲望の塊が最初の一歩を踏み出すには

人間は欲望の塊だ。

「お金が欲しい」、「名誉が欲しい」、「幸せになりたい」などと高望みする人は多い。

何かを新しいことを始めたり、挑戦したりする時に報酬を求める人がほとんどだと思う。

例えば、高給取りになるために資格を取得する、お金持ちになるために投資を始めるなど石ころのように無限に転がっている。

目標を明確にして、それに向かって頑張る。

素晴らしい事じゃないか、会場のオーディエンスは立ち上がり拍手喝采するであろう。

しかし、私はそれだけではないと考える。

人間というものは、欲望に囚われて、多くのものを犠牲にしている。

私は何かを始めるにあたった、目標は必要ないと考える。

まず、考えるべきことは「自分が楽しいと思える」かどうかだ。

この大前提を忘れている人が多いような気がする。

自分が楽しいと思えるものであると分かってから、目標は考えればよい。

まず最初に目標を掲げると、自分の本当の感情を殺す殺戮マシーンと化してしまう。

サイコショッカーのようになってしまうと、使命感が生じるようになる。

「お金がなくなるので働かなければならない」、「今日も仕事に行かなければならない」などと本来挑戦するにあたって必要のないことを考えるようになる。

  • お前は何がやりたい?
  • お前は何が好きだ?

シンプルにこの二つを考えれば良い。

そして目標という変動する生物のことは考えずに、とにかくやってみること。

好きなことに挑戦している時に、「やらなければならない」と考えるのは、使命感ではなく、目標に向かった手段である。

楽しいと思えること→目標→手段

この順番をしっかりと頭に焼き付けておく必要がある。

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好きなことを探すことがめんどくさいって奴はベンチ席で花摘みをしてなさい

心の底から楽しいと思えることが見つかれば幸せなことだ。

好きの基準は一概には言えないが、私が思うには、24時間考えていられることで、疲れたなどという言葉が出てこないもの」という定義だ。

しかし、多くの人は楽しいと思えることが見つからずに社会に放り出される。

なぜ見つからないのかと言うと、挑戦する回数が少ないからだ。

バッターボックスに立たなければ、ゴロを打つことはできないし、ホームランを打つこともできない。

世の中には思いのほか、打席に立つ人が少ないように感じる。

時にはデットボールを喰らい、痛い思いをすることもあるが、恐れていては輝かしい成功は絶対にないだろう。

恐怖心に負けるようであれば、挑戦する権利はないし、ベンチから挑戦する人を応援していればよいのである。

ベンチにいることが悪い事ではないし、人それぞれ考えればよいと思う。

大人になると、長い物に巻かれ、人間は精神的に丸みを帯びてくる。

家族などの守らなければならないものも増え、自分一人、好き勝手生きていけなくなる。

しかし、それを理由にして何もしないのは怠惰だと思う。

もう一度言う、怠惰だ。

何かしたいと思っている人が、何もしないと主張するのは矛盾の境地である。

尖りを持って、バッターボックスに立ち、何事に対してもフルスイングする。

これが、好きなことを見つける唯一無二の方法だと考える。

人生は有限であり、打席に立つ回数も限られている。

故に、絶対に毎度フルスイングすることを忘れてはならない。

 

ここからは、「好きなこと」が見つかった人向けに、私の考える「理想と現実」を綴っておく。

 

理想と現実

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こちらのグラフを見て頂きたい。

これが私が主張したい内容の全てである。

人間はあたかも自分が天才であるかのように「理想の成長曲線」を思い描く。

それは周りの成功者を断片的に捉えてしまい、その成功者の猿真似をすぐしようとするからである。

YouTuber、アスリート、頭のいい人などは全員天才のように見える。

しかし、彼らには血の滲むような努力、継続、基礎の積み重ねが過去にあり、数年、いや数十年の時を経て成功を手にしている場合がほとんどである。

我々は水面下で海底に沈んでいく人は一切見ることなく、氷山の一角の成功者のみを目にしているのである。

人生は甘くないし、何ならココ壱番屋の10辛より辛口である。

「やってみようか」と考え、1~3ヵ月もすれば、半数の人は挑戦をやめていく。

そう、多くの挑戦者は1辛くらいで挫折するのである。

楽しいと思えることと思って始めたことが、自分の体質に合わなかった、飽きてしまったなど様々な理由があると思う。

しかし、一つ言えることは、「1~3ヵ月でやめるようなことは本当に好きではない」ということである。

もっと好きなことが必ずあるはずなので、諦めず打席に立ってほしい。

そして、6ヵ月もすれば、生き残った人の中でさらに半数がやめていく。

「よく頑張った」と言いたいが、甘い、甘すぎる。

「6ヵ月程度でやめるようなことは、まだまだ愛が足りない」のである。

もう一度、打席に立つしかないのである。

諦めてはならない。

努力量、差別化、市場にもよるが、1年~数年すれば、それなりに何事も花が咲く。

周囲の人から評価され出すのはこの辺りからである。

この長くて険しい「修業期間」は先が見えないし、夜も越せない不安に襲われる時もあるくらい苦しい期間だ。

この一寸先は闇のフェーズに耐えきることができずに、多くの人は退場し、丸みを帯びていくのである。

しかし、この修業期間なしに成功を手にすることはない。

世の中で有名人と称される業界人は皆そうだ。

寿司職人、野球選手、投資家、経営者、皆それぞれこの期間を経て成功を手にしている。

私も自転車では最初の数年は一人で寂しく走っていたが、とにかく基礎と継続を掲げ頑張っていた。

4年が経過し、ようやく芽が出てきたように感じる。

受験、金融、ビジネス、当ブログの運営、株式会社の生存競争など全てにおいて通じる不変の真理だ。

この修業期間が地獄であるため、多くの人が退場していくのである。

地獄の苦しみを緩和するためにはどうすればよいか。

簡単である、挑戦していることを心の底から楽しいと思っているか。

これだけである。

目先の欲望や目標では「成功」を手にする可能性は極めて低いのである。

なぜなら、修業期間に耐えられずやめてしまうからである。

成功は思ったよりも遠い場所にあるし、簡単には手に入らない。

仮に成功したとしも、一発屋の芸人と変わらない。

仮想通貨で億り人になったり、SNSでバズることは、本当の実力ではないし、天才でもない。

天才は継続、改善をできる人のことを指す。

地道に泥臭い努力を継続し、改善を繰り返し、24時間考え抜く必要がある。

少しキツイ言い方をしたが、この修業期間の存在は確かだと思う。

私自身も、何事に取り組む際もこの「現実の成長曲線」を頭に思い描きながら、挑戦している。

何かに挑戦する方、応援しております。

一緒に頑張りましょう。

 

ただ継続するのではなく、「学習・反省・挑戦」を繰り返していくことが、最短にして成長する鍵だと思います。